ゆうめいの部屋

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高校野球

ようやく

気温もポカポカしてきて

グラウンドの雪も融け

グラウンドでの練習開始

土曜日・日曜日と

遠軽高校が遠征で練習試合に来た

遠軽高校は数年前に甲子園出場校

うちの高校に来る前に行った高校では

35点も取ってきたらしい。。。

土曜日。。。

4点リード。。。

これってイケるんじゃ?

ピッチャー交代

5点取られる。。。

ピッチャー交代

ボクちんがピッチャー

点は抑えるも点数取れずで

1点差負けしてしまった

日曜日

1回で8点入れられる

監督は

どうにか左ききの子を

ピッチャーにしたいらしい

が。。。即ピッチャー交代。。。

その後も点数入り

ピッチャー交代。。。

ボクちんが投げる。。。

1点取られてしまった。。。

結局2日間とも負け。。。

この負けを

今後に活かせれればいいのよね

とうとうシーズン開始になってしまった

これからは土日は全部野球だ。。。

ボクちんの球児生活も

残すとこ4か月を切った

ボクちんが10年ほど野球をやってるけど

野球に興味ない私。。。

ボクちんが野球やってなかったら

球場なんて行くことないだろう

興味ないから

いまだにルールがわかっていない

投げた・打った・走ったのみだけわかる

東海大四がせんばつの決勝戦に残った

北海道からは52年ぶりらしい

あと4か月。。。

ボクちんと一緒に燃え尽きれるように

母も頑張るでーーーーー


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by yu--mei | 2015-03-31 23:13 | Comments(3)

最期のお別れ

木曜日朝

ボクちんを学校に送り

その足で車で1時間の所へ

仕事に行き

クリーニングを出すように頼まれていたので

ババの家に行きYシャツを受け取った

ババに病院に行けるかきかれて

集金の仕事が少しある話をしたら

自分で運転して行くとのこと

クリーニングに出して

冬道を運転しないババが心配で

1回ババの家に戻った

もうすでにババはいなかった

私もそのまま病院に向かった

病院の駐車場に入った所で

電話が鳴り。。。ババだった

今爺ちゃんが亡くなったの

今病院の前だからと言うて切った

すぐに従姉弟の嫁からも連絡が入った

爺ちゃんの病室に行くと

白い布が顔に覆われていた爺ちゃんがいた

とても穏やかな表情だった

いつもだったら

冬道を絶対運転せずに

早く終わらせてきてよと言うて

私が戻るのを待つババ

今回だけが何故

自分で。。。しかも即行動に。。。

きっとそうさせる何かが

ババの中にあったのだろう

ババは亡くなる10分前に到着し

目を開けてる爺ちゃんに会う事ができたらしい

本当に良かった

この日はボクちんの学校も

午前の授業で終わる日で午後から部活だった

お昼にメールが来た

ひいじいちゃん大丈夫なの?

ボクちんからだった。。。

爺ちゃんが危篤になってから

そんなメールは初めてだった

亡くなったことを伝え

この先のことがまだ決まってないから

あとで連絡すると返信した

葬儀屋さんが来て

病院から葬儀場へ移動になった時に

孫達は一旦家に戻ることになったので

ボクちんを迎えに行った

金曜日が友引の為に

先の日程がまだ決まってないので

ボクちんを家に置き

集金を済ませ

安置されてる所へ行った

やはり友引がかかるので

金曜日に通夜

土曜日に告別式になった

本当はそれさえもできない所だった

お彼岸がぶつかってる為に

どこのお寺も動かない話だった

婆ちゃんも入っているお寺の

昔からの付き合いのお坊さんが

告別式を午後からにするのなら

なんとかしてくれるとのこと

従姉弟達に日程を知らせ

夜に集まりお供え物の相談をし

翌日1時半より納棺があるので

1時に集合と言うて解散した

4年前の婆ちゃんの時は

遠く離れた札幌だった為に

ババ達が行って全てを済ませ

孫達は帰ってくるのを待つように言われたので

納棺を見るのは初めて

私の想像では単純に

何人かが来て

爺ちゃんを棺桶に入れるのだと思っていた

来たのは女性が1人だけ。。。

お棺の姿もない。。。

女性は手際よく

爺ちゃんの肌を見せることなく

掛けていた布団を裏返しにした

爺ちゃんの着ていた物を脱がし

爺ちゃんの顔を剃り始めた

喪主の方からご遺族の方で

お体を拭いてあげてください

と言われ

叔父さんから拭き始めた

ボクちんは嫌がる事もためらう事もなく

自らすすんで拭き始めた

白装束に着替えさせてもらって

いよいよお棺に入れる時に

ボクちんは爺ちゃんの頭を持った

枕と一緒に持ってるので滑りやすく

4人で持った爺ちゃんの体は

一瞬波をうった。。。

無事に納棺も終わり

通夜の時間を待つばかり。。。

お坊さんが来て通夜開始

色々な小道具を出してお経をあげていった

通夜振る舞い。。。

家族葬なので

本当に内々のメンバーなので

気を遣うこともなく

みんな落ち着いてた

本当なら賑やかにしなきゃいけないのだが

危篤から始まっての付き添い等で

みんな疲れていて静かだった

ババが爺ちゃんは演歌が好きだった

と言うて自分の携帯に入ってる

演歌を流し始めた

代わるがわるに絶やさないように

お線香を立てていった

翌日の告別式

お坊さんに無理をお願いして

午後からしてもらった

お経が終わって

お花を添えて10円玉も入れて

出棺。。。

火葬場に到着すると

最期に顔を見てすぐに焼き場へ。。。

2時間程して呼ばれた。。。

私もボクちんも初めての経験

ボクちんためらうことなく箸でお骨を拾う

そんなボクちんを頼もしく思えた

車で1時間のお寺へ移動して

初七日と四十九日の繰り上げ法要してもらった

喪主の叔父さんが栃木だから

全部済ませたのだった

危篤から始まって今日まで

色々と思い出したり考えたりした

そしてこの1週間で気付いたのは

私は爺ちゃんが好きだったんだって事です

爺ちゃん注射打ち始める前に

私に名前を呼んで

ありがとうって言ってくれたの

こわいこわい(苦しい苦しい)って言う合間に

私にありがとうって言うてくれたの

だから私。。。

爺ちゃんについてあげられなくなったの

それまでは

私が自分で後悔しないようにって

できる限りのことはしてあげようって

そんな気持ちでついていたのだけど

爺ちゃんが私を見てくれたら

ただ弱っていくのを見て待つってことが

できなくなってしまったの

こんな苦しみから楽になってほしい気持ちと

まだまだ頑張って生きてほしいって気持ちが

ぶつかりあって

ついてあげられなくなってしまったの

1日に何度も毎日顔は見に行ってても

ずっとついていてはあげられなかった

爺ちゃん、ごめんね。。。

私の心の中にも

ボクちんの心の中にも

爺ちゃんはいつまでも生き続けてるよ。。。

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by yu--mei | 2015-03-22 20:45 | Comments(3)

じいちゃん。。。

金曜日の昼食後

急変してICUに入り

危篤状態になった爺ちゃん

会わせたい人に会わせてくださいと

ICUの向かいの部屋に移され

酸素だけで点滴も何も治療されてない

土曜日・日曜日・月曜日・火曜日・水曜日

何も食べてないのに。。。

まだ頑張ってる爺ちゃん。。。

ICUに入った時に

延命措置をするかどうか確認された

91歳という年齢と

この1年程の間に3回も

心不全で入院したりしてるのもあって

これ以上は苦しむだけかということで

延命措置はしないことにしてた

ジジババ叔父叔母達は

ずっと病院に泊まって付き添っていた

昨日医師から話があった

心臓も腎臓も肝機能の数値も

もうすでに悪い方へMAXらしい

再度医師から延命措置をしない確認があった

確認後。。。医師が言うた事は

驚いてしまった

タンを取ったり痛い所をさすったりする行為は

全て延命行為になるらしいのだ

さすって刺激を与えることや

甘えさせてる状態が居心地良すぎて

頑張ろうとすると言うのだ

ていうことで。。。

昨夜はババ達は帰されたのだ

久しぶりに布団で寝たババは

疲れが一気に出てしまったのか

今日ダウンしてしまった

元々体調がよろしくないババ

いつダウンしても不思議ではなかった

あちこち痛がる爺ちゃん

痛み止めの注射を打った。。。

これは眠ってしまう薬なのだ。。。

そう。。。そのまま昏睡状態になってしまう

可能性が高くなってしまう注射

みんな覚悟を決めて

爺ちゃんから痛みを取ってもらった。。。

久しぶりに

気持ちよさそうに眠る爺ちゃんを見た

80前後あった脈が

50前後まで落ちていった。。。

いよいよか。。。

とうとうお別れの時か。。。

誰もがそう思ったに違いない。。。

2時間後。。。

爺ちゃん。。。目が覚めた

金曜日の昼食以来何も食べてなくて

ぶとう糖さえも入れてないのに

すごい生命力だ。。。

夜に2回目の注射をした。。。

ボクちんが野球の練習が終わって

お迎えに行くと

車に乗るなり

爺ちゃんの様子をきくボクちん

注射の話をし

次会う時は棺桶の中かもと言うと

帰りに爺ちゃんの顔を見ていくと言うのだ

面会時間は過ぎてるけど

連れて行ってあげた

20分位ボクちんは立ったまま

爺ちゃんをじーっと見ていた

ボクちんの心に何を思って見てるのかは

わからないけれども

今この時がボクちんにとって

忘れることのない時間であろう。。。

帰り道に

私「ボクちんにとってひい爺ちゃんは
  どんな記憶?」
ボ「小さい頃腕相撲した」
私「あとは?」
ボ「将棋教えてもらった」
私「よく2人でやってたねぇ」
ボ「甲子園の話もいっぱいした」
私「そうなんだ」

最初の曾孫で男の子だったせいか

ボクちんは曾孫の中で

1番爺ちゃんに可愛がられてた

私が爺ちゃんの世話をする時に

ボクちんも一緒にいたから

自然に関わる時間が

多かったせいなだけかもしれない

あともう少しで尽きようとしてる

爺ちゃんの命。。。

どうか苦しまないで。。。


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by yu--mei | 2015-03-19 00:32 | Comments(3)

じいちゃん危篤。。。

金曜日の午後

ババの病院で薬をもらい

ババの家に届けに行ったら

ジジの車があった

仕事の途中でトイレにでも寄ったのかと

思ってる内にジジの車が動き出した

よく見るとババも乗ってる。。。

なんで?と思い

声をかけると

「爺ちゃんが危ないみたいだから
 あんたも後からついてきなさい」

とババが言うのです

水曜日に爺ちゃん(ババの父)が

心不全で入院してたのですが

木曜日に病院に行った叔母の話では

「食欲もあって
 今回は長く入院しないで済みそうだわ」

と言うていたので

安心してた矢先の出来事でした

何度も入院し

何度も復活し驚異の回復力に

何度も医師を驚かしてきた爺ちゃん

慌ててICUに入っていくと

そこには変わり果てた爺ちゃんがいた

目もうつろで肩で呼吸するかのように

苦しそうにしてる爺ちゃんの姿があった

さすがに今回は。。。

「会わせたい人がいたら
 すぐに連絡とってください」

と言う医師の言葉が余計に緊迫させる。。。

私は慌ててボクちんを迎えに行った

アクセル踏むも何か変。。。

ありゃま。。。

焦りすぎてICUのスリッパのまま。。。

ペタペタスリッパでの運転は

めちゃめちゃしづらいこと判明

学校までの道のりは

動揺してるのか思うように

スピードが出せない。。。

喪服。。。サイズ大丈夫かなぁ。。。

なんて考えながら運転する私は薄情?

時間は部活が始まるかどうかの時間

病院を出る前にメールしておいたのだけど

返事無し

部室の前に車を停めて到着のメールするも

返事無し

どうやら部活が始まってしまってるようだ。。。

呼びに行きたいが。。。

外は雪道。。。

足元はペタペタスリッパ。。。

滑って歩けません

どないしよ。。。

と迷ってる内に

監督が歩いてきた

私「こんにちは」
監「こんにちは」
私「もう練習始まっちゃってるんでしょうか」
監「もう始まってますね」
私「ボクちんのひい爺ちゃんが危篤で
  迎えに来たんですよねぇ」
監「あ、じゃあ今呼んできます」
私「お願いします」

ということで監督にお願いしました

監「ボクちん!ひいおじいちゃんが危篤で
  お母さん迎えに来てるから帰れ」
ボ「え?俺もう帰っていいの?」
監「お前は薄情な奴だな
  バチ当たるぞ!」
ボ「帰ります」

ボクちん車に乗り込むと。。。

ボ「ところで危篤ってどういう意味?」
私「知らんのか!」
ボ「だからどういう意味?」
私「死にそうだってこと
  今こうして向かってても
  間に合わないかもしれないってこと」
ボ「そういう意味だったのか!」

病院に到着しICUに向かうと

孫達も面会できるように

ICUの向かいの部屋に移されていた

今まで見たことのない

ひい爺ちゃんの姿に

ボクちんは固まってしまった

娘や孫や曾孫も集まり

少し呼吸が楽になったかの様に見えた

爺ちゃんと挨拶する。。。

爺ちゃんも涙しながら

やっと出せる声で話す

ボクちん最後に挨拶する

爺ちゃん、ボクちんの手を離さない

バ「疲れるでしょ手離していいんだよ」
ボ「離そうとすると、ぎゅっと力入るから
  ひいじいちゃんが離すまでこのままでいる」

30分位にぎったままだった

栃木の長男がJRで来る為に

到着が翌日の夕方になるとの連絡が。。。

間に合う?いや無理だろう。。。

誰もがそう思っただろう。。。

爺ちゃんだいぶ呼吸が落ち着いてきたみたいで

寝ようとする。。。

昏睡状態になってしまうんじゃないかと

みんなで声をかける

そんな繰り返しを幾度となくしてると

看護師が来た。。。

何を言われるのかドキドキ。。。

「酸素が100%になっちゃいましたね」

爺ちゃん酸素不足で酸素マスクしてたんだけど

酸素不足が解消されつつあるらしい。。。

爺ちゃんは昔から

すごい男尊女卑の人だった

娘より息子が1番

孫も当然のように

初孫の私よりも4つ下の男孫が1番

小さい頃から

爺ちゃんの肩を叩くのは私

こづかいもらうのは従姉弟だった

どこかに連れていってもらえるのも従姉弟だけ

どうにか孫として見てもらいたくて

色々頑張った時期もあったけど

ことごとく容赦なく切り捨てられたので

思春期の頃にはもう諦めていた

私がボクちんを妊娠中

お腹にいるのが男の子だと知ると

初めて私に大きな桃を買ってきてくれた

私の為だけに買ってもらったのは

ランドセルの次がこの桃なのだ

初孫なのに雛人形も無く

ランドセルだけは母が頼み込んで

やっと買ってもらったのであった

話を戻して

爺ちゃんの呼吸も落ち着いたので

孫達は夜中に家に帰ることにした

というのも

みんな病院から家が近いのだ

1番遠い私の家でも車で5分ちょいで行けるのだ

家に帰ったはいいけど

気になって眠れることはなく

土曜日は朝早くから病院に行った

ボクちんには部活を休ませ

いつでも出かけれるように支度させ

家で待機させた

爺ちゃん。。。

前日よりハッキリ話してる。。。

4つ下の従姉弟が来ると

爺ちゃん泣いて喜ぶ

私の時には無い反応。。。

まぁ。。。いいんだけどね。。。

いつものことよね。。。

爺ちゃん興奮しすぎて脈乱れる

従姉弟でさえこれじゃ

夕方栃木から長男が到着したら

どうなってしまうんだろう。。。

夕方、駅に叔父さんを迎えに行った

4年前の祖母が亡くなった時に会った以来だった

爺ちゃん、叔父さんを見るなり号泣

叔父さんも号泣

しばらく2人きりにしてあげた

叔父さんはもう間に合わないと

思いながらの道中だったらしい。。。

涙の対面の後に

ボクちんが顔を見せた

爺ちゃんは、ボクちんの手を両手で握り

「頑張れよ!頑張れよ!」

って言うのです

嬉しかったぁ

私はどんな扱い受けても

ボクちんを曾孫として見てくれてたら

私はそれで十分

身体の弱いババの代わりに

爺ちゃんや亡くなった婆ちゃんの世話をしてきた

従姉弟達の中でも病気等で関わってきたのは私だけ

ボクちんが小さい時もパパにお願いして

病院に泊まり込みもした

あちこちの病院にも連れていったし

食事の世話もした

私の記憶の中には世話してあげた事しかない

どんな扱い受けても

ババの為もあったが

自分が後悔しない為にも

私がしてあげれる事はしてきた

そして今にも命尽きようとしてる今

爺ちゃんは私の名を呼ぶことがない。。。

まぁ。。。ドラマのようなことはないわよね。。。

それでもボクちんの名前は言うてくれたから

それでいい

夜泊まってあげれない代わりに

昼間はババや叔父さん叔母さんを休ませる為に

私が爺ちゃんのお世話をした

看護師さんと話をした

私「安定したと言えるのでしょうか」
看「呼吸は安定してるように見えますが
  尿が出てないので腎臓と心臓が
  くっついた状態は変わらずなので
  安定はしていません」
私「見えない部分は危ない状態のままなんですね」
看「そうですね」
私「こんなに呼吸が落ち着くの想定外でした?」
看「正直想定外です
  あのまま昏睡状態に入り
  脈が少なくなってそのまま。。。
  って思っていたのにびっくりです」
私「今までも医師や看護師を驚かせてきたんです
  でもまだ安定じゃないから
  油断できないんですよね」
看「そうです
  尿が出てないから点滴ができないんです
  点滴で栄養だけでもって思っても
  尿が出てないとむくむだけで
  負担になってしまう」
私「そうですか」
看「だから尿が出てないと
  今最低限にあるエネルギーを
  消耗するのみになってしまうんです」
私「やはり危険な状態なんですね」

本当にわかりやすく

説明してくれる看護師さんでした

夜中に家に帰り

翌日病院に行くと

爺ちゃん。。。

尿も出るようになって

前日よりも元気になってる。。。

とはいえ

まだまだ点滴できるような量ではない

昼間は同じように私がお世話

爺ちゃん私の名前を呼ぶようになった

呼吸は落ち着いてるのに

こわいこわい(苦しい苦しい)と言う

爺「こわいこわい(苦しい苦しい)」
私「大丈夫よ、大丈夫」
爺「こわいこわい(苦しい苦しい)」
私「みんないるからね
  一緒にいるから頑張ろうね」
爺「うん(大きくうなずく)」
爺「こわい(苦しい)」
私「うん」
爺「こわい苦しい)」
私「うん」

うなずきを繰り返し

爺ちゃんは眠り

少ししたらまた

「こわいこわい(苦しい苦しい)」

と言いだし

また同じように繰り返し眠りにつく感じでした

呼吸は安定し酸素マスクも外れ

鼻チューブだけになった

尿も出たし便も出た

タンも出なくなり

胸からきこえていた嫌な音も消えた

回復してるかのように見えるのだが

戦争で亡くなった爺ちゃんの兄を呼んだり

昔住んでた所に今も住んでる様に話したり

記憶が混乱してきてる感じだ。。。

今夜はババと交代して泊まるつもりが

ババがこんな状態では帰れないと言うので

私が帰ってきた

病院に残りたかったが

私が残ると人数オーバーで

仮眠する所もなくなってしまうのだ

爺ちゃんとは色んなしがらみがあったけど

今してあげれることはしてあげたい

4年前に亡くなった婆ちゃんには

してあげられなかった後悔が

沢山あったから。。。

後悔しないためにも

今弱っている爺ちゃんにはしてあげたい

お腹が苦しいと言えばお腹をさすり

胸が苦しいと言えば胸をさすり

手首は腱鞘炎。。。

苦しみを取ってあげたいと思うと

ついつい力が入ってしまうのよね

でもそれで爺ちゃんが楽になって

少しでも眠れるなら

嬉しい痛みだよね

さすりながら。。。

爺ちゃんのおでこを。。。頭をみると。。。

ワックスかけたようにツルツルテカテカ

いやいやそんな事思うのは不謹慎だ。。。

さすりながら。。。

爺ちゃんの顔をみると。。。

白い眉毛が5cm以上ある。。。

眉毛ってこんなに伸びるものなんだぁ

いやいやこの状況で考えることじゃない。。。

さすりながらこんなことを

考えてた私は薄情?(T-T) ウルウル

夜に爺ちゃんを眠らせて帰ってきた

先週は仕事もびっちりだったけど

今週は余裕があるので

明日も朝ひと仕事したら

ババの病院に薬をもらいに行ってから

爺ちゃんの病院に行こう

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by yu--mei | 2015-03-16 01:36 | Comments(3)

好きなアーティスト

小学生の頃は

野を駆け回るのに夢中で

自分で音楽を聴くこともなく

好きなアーティストもいませんでした

両親がカラオケが好きで

我が家にはカラオケができるように

大きなスピーカーのステレオがあり

私も一緒に歌ってはいました

親が歌う曲を歌うだけでした

主に演歌やグループサウンズでした

中学に入って

チェッカーズの存在を知り

フミヤのファンになりました

それからは

友達がCCBやアルフィーが好きだと言うても

ブレることなく

フミヤ一筋でした

今みたいにCDもなく

おこづかいをもらってなかった私は

レコードを買うこともできなく

祖母が私の誕生日に

アルバム1枚買ってくれたのが

唯一のチェッカーズの物でした

ラジオを録音して

何回も何回も聴いて

紙に歌詞を書きだして

英語の部分なんか

タモリの空耳アワーも真っ青って言う位

聞き間違えて覚えていた

友達にダビングしてもらったテープは

好きな曲を繰り返し聴く為に

部分的にのびてしまう。。。

そんなことをしながら

フミヤ一筋でした

高校に入って

友達が徳永英明が好きで

ウォークマンで聴いてるのを

聴かせてもらって衝撃が走った

徳永英明のソフトボイス

切なすぎる歌い方

友達と繰り返し聴いていたのは

百万本のバラ

そう。。。

徳永英明の曲ではなかったのだ

今までに聴かない曲調にも衝撃を受けた

https://www.youtube.com/watch?v=MNZwGqstd3I

加藤登紀子が歌ってるのを聴くと

女性なのに徳永英明よりも力強く

同じ曲なのに

違うものになるのを知った瞬間でした

~百万本のバラ~
小さな家とキャンバス 他には何もない
貧しい絵描きが 女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい
ある日街中の バラを買いました

百万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして

ある朝彼女は 真っ赤なバラの海を見て
どこかのお金持ちが ふざけたのだと思った
小さな家とキャンバス 全てを売ってバラの花
買った貧しい絵描きは 窓の下で彼女を見てた

百万本のバラの花を
あなたはあなたはあなたは見てる
窓から窓から見える広場は
真っ赤な真っ赤なバラの海

出会いはそれで終わり 女優は別の街へ
真っ赤なバラの海は 華やかな彼女の人生
貧しい絵描きは 孤独な日々を送った
けれどバラの思い出は 心に消えなかった

百万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして


1曲の中にドラマがある

本当に衝撃でした

それから先は

色々な友達の影響で

工藤静香や長渕剛やブルーハーツ等

聴くジャンルが増えた

カラオケボックスの走りでもあり

歌いまくりましたねぇ

あれ?何の話してたんだっけ?

まぁいいか

もう遅いから寝よう

(6 ̄  ̄)ポリポリ

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by yu--mei | 2015-03-10 03:01 | Comments(2)

シーズン

3月は

卒業シーズン。。。

テレビでも

卒業ソングBEST等やってます

懐かしい曲もあり

思い出しました。。。

初めての卒業は

保育園の卒園

卒園するという事の意味もわからず

「1年生になったら」を歌いました

1年生になって

友達が増える事は理解していたのに

もう保育園に通えないことを

理解してなかった私は

小学校入学してしばらくしてから。。。

学校を通り過ぎて。。。

保育園に行ってしまったのです

保育園の垣根の下にランドセルを押し込み

学校休みだと言って入っていったのです

笑顔で迎え入れてくれた先生達

でも。。。ちゃんと連絡されてました

昼食後。。。小学校の担任の先生が

自転車に乗って迎えに来たのです

大人なんか信じないって思った瞬間でした

でも今思えば

小学校の先生が

学校をさぼって保育園に来た私を

自転車で迎えにくるっていうことは

すごい事だったのですよね

先生に掴まりながら自転車の後ろに乗って

20分の道のりを先生は叱ることなく

ただただ必死に自転車をこいでました

今ならわかる

私の安全を考えて何も言わずに追い返さず

迎えいれてくれた保育園の先生方

昼休みに自転車で片道20分の距離を

迎えに来てくれた小学校の先生

私は守られていたのですね

感謝です

小学校の卒業式は

「贈る言葉」を歌いました

~悲しみこらえて 微笑むよりも
 涙かれるまで 泣くほうがいい
 人は悲しみが 多いほど
 人には優しく できるのだから
 さよならだけでは さびしすぎるから
 愛するあなたへ 贈る言葉~

さすがに卒業の意味もわかり

卒業式が終わってからも号泣してました

そして。。。

友達みんな。。。

ていうか。。。

全員同じ中学校に行く事に気付いたのは

帰り道でした。。。

(6 ̄  ̄)ポリポリ

私は入学した小学校と

卒業した小学校が違います

小学3年生の時に

ジジババの再婚で

ジジのいる隣町に転校したのです

入学した小学校は

新築校舎で私達が最初の1年生でした

小学3年生の夏に転校した小学校は

親の世代も通ったという

とてもとても古い校舎でした

2階建てのめちゃめちゃ横に長い木造校舎

きしむ廊下

閉まってるのに雪が入ってくる窓

教室の真ん中にある丸いストーブ

農家の子は自転車で通ってくること

私の目に入る物全てが初めてで刺激的でした

夏休み中に友達を作った私は

クラスにもすぐに馴染めた

担任の先生がユニークだった

教室にはアコースティックギターが置いてあり

授業中すぐに脱線して

歌を歌い始める先生でした

もっともっと田舎の少

人数の学校がいいと言うて

田舎の学校に行ってしまいました

私の通う学校は田舎とはいえ

1クラス40人の3クラスで

1学年120名いましたからね

確かにその先生は

少人数の学校の方が

合ってる様な気がしました

その後の担任は何故か

毎年担任が変わっていたのですが

どの先生もスパルタ式の厳しい先生で

でも厳しい中にも愛情がちゃんとあって

それを生徒達も受け止めれる関係でした

おかげで私も正義感だけ強くなりました

そんな小学校とのお別れが

寂しかったのもあって

泣いてしまったのでしょうね

中学校の卒業式は

「じゃあね」を歌いました

もう歌いながら号泣です

みんなバラバラの高校へ行ってしまうので

本当の別れです

~春はお別れの 季節です
 みんな旅立って いくんです
 淡いピンクの桜 花びらも
 お祝いしてくれます

 ずっと仲よしで いてくれた
 時は思い出の 宝箱
 そんな悲しまないで
 大人への 階段を昇るだけ

 じゃあね そっと 手を振って
 じゃあね じゃあね
 だめよ 泣いたりしちゃ
 ああ いつまでも
 私達は 振り向けば ほら 友達~

私は中学校も入学する学校と

卒業する学校が違います

中学2年の2月に父の仕事の関係で

隣の市内の中学校に転校しました

田舎の生活に慣れきった私にとって

市内の中学校は全てが新鮮でした

前の中学校がセーラ服で

転校先はイートンの制服でした

急な転校だった為に

制服が間に合わず

セーラ服で母と一緒に転校の手続きに。。。

時間はもうHRを残すばかりの夕方

担任が。。。今から紹介しましょうと。。。

心の準備もできてない私。。。

セーラ服はあまりにも目立ち

身長160cmオーバーの私は更に目立ち

視力が悪い私はやぶにらみ気味

恥ずかしさのあまりに腕を組んでしまった私

緊張のあまりに

「よろしくお願いします」しか言えなかった私

席についた時にも緊張を隠す為に

腕を組んで座ってしまった私

私のそれらの行動?態度?で

一瞬にして

私のイメージが作られてしまったのでした

超真面目な私の所に

一般的に不良と呼ばれる方々が

見に来るのです

そんなイメージを改善しながらも

やっとクラスの子の顔を覚えたと思ったら

1ヶ月半後の4月にはクラス替えが。。。

また1から覚え直し。。。

中学3年生の1年間はすごかった

喜怒哀楽全てを満喫した

色々な問題もあったけれども

今戻れるとしたらこの時代に戻りたい位

充実した学校生活だった

友達との別れも

好きな人との別れも

全てを惜しみ

卒業式の日は誰もいなくなるまで

教室に残っていた

高校の卒業式は涙はなかった

学生じゃなくなって

学校から解放されるという

嬉しい気持ちが強かったのかな

尾崎豊の「卒業」が流行った頃でした

高校の卒業後に行われた

中学のクラス会の方が思い出に残ってる

遠くに行ってしまった人もみんな集まり

それぞれの進路を報告し合った

私より10cm以上も小さかった男子が

私が見上げる位大きくなっていたり

進学・就職と様々だったけど

みんな未来を見てて目を輝かしていた

私の卒業はもう無いけれども

ボクちんの卒業もその都度

涙してきた

来年卒業予定のボクちん。。。

無事卒業できることをただただ祈るだけ。。。

野球も高校生活も最後の年

悔いなく満喫してくださいよ

その前に。。。

3年生になれるのかしら。。。

(6 ̄  ̄)ポリポリ


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by yu--mei | 2015-03-09 01:52 | Comments(2)

3月3日

灯りをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
5人ばやしに 笛太鼓
今日は楽しい ひなまつり~♪

ってことで

私が食事を作っている

高齢者専用集合住宅でも

ひなまつりをしましたぁ

御高齢でもレディはレディですからね

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立派な雛人形も飾られてます

午後からは甘酒でお茶会

入居者さん達は

のんびりした時間を過ごしました

イベントデーの夕食は少し豪華になります

だからイベントデーは

2人で25人分を作ります

手のかかるメニューになるので

大変さは1人の時と変わりありません

私は朝食や昼食が多く

イベントデーの夕食を

担当するのは初めてでした

担当するのは初めてだけど

クリスマス等に

ケーキの飾りつけ等を手伝いにきてたので

大変さだけわかってます

手伝いは言われたことだけをしてればいいので

気楽なのです

でも今回は担当なので

気合いを入れて取り掛からなければなりません

豪華にしようが手の込んだ物にしようが

いつもと同じ時間内で

作らなければならないので

もう汗かきかきです

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ちらし寿司(絹さやと錦糸卵とえびと桜でんぶと紅生姜がのってます)
はまぐりとはんぺんあられと三つ葉のお吸い物
菜の花のからし和え
レタストミニトマトを添えたザンギ
桜餅

ザンギはにんにくとみりんと醤油で漬け込んで

片栗粉をつけて揚げて

水あめ・砂糖・醤油で煮詰めたタレに絡めました

めっちゃ美味しいの♪

本州では桃も先始めて春を告げているのに

2月末から雪が続いてる

昼間の気温が高いからすぐに溶けるけど

道の状態が悪すぎ

は~~るよ 来い!

は~~やく 来い!



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by yu--mei | 2015-03-05 13:15 | Comments(4)



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