人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ゆうめいの部屋

重症筋無力症

数年前から人の顔に目が4つに見えてた
見え始めた時に
これはおかしいと眼科に行ったんだけど

私:人の目が4つに見えるんですけど
医:え?何でそんな風に見えるの?
私:それを私がききにきたんだよ(心の声)
医:疲れてるんじゃないんですかね~

と若い医師に言われ
こんな返答しか返ってこないのかと
その後もどこの眼科に行っても
どうせ同じような返答しかないだろうと
あえて自分から言うこともなかった

ちょうど老眼も始まった頃で
老眼だから仕方ないのだと
自分に言い聞かせて過ごしてきた

昨年秋にメガネを作る為に
総合病院から独立した眼科が
近所にできたので視力検査に行った
いつものように私からは
何も言わなかったのだけれど
視力検査が終わった後医師に

医:焦点が合わないことありますか?
私:ありません(即答)
医:そうですか少し外でお待ちください

中待合で待つ事に。。。
焦点合わないってどういうことだ?
焦点って。。。
ああああああああああ
物が2つに見えるのは焦点が合ってないんだ
私はこの時初めて焦点が合わない
という表現を知ったのです
今まで人に上手く説明できず
言われた方も目が4つ???
みたいに不思議顔でした
目から鱗が正しい表現かわかんないけど
めちゃめちゃスッキリした瞬間でした
医師に呼ばれ診察室に

私:先生!私焦点合ってませんでした!
医:ですよねぇ
私:はい!
医:重症筋無力症の疑いがあります
私:何ですかそれ?
医:それをはっきりするために
  脳神経内科に紹介状書きます
私:はぁ。。。
医:あと緑内障の疑いも濃厚です
私:え~
医:まずは脳神経内科にかかってからです

紹介状をもらい家に帰りました
すぐにパソコンで調べると
指定難病って書かれてる。。。
症状は軽減されても完治は無い書かれてる
難しすぎてよくわかんない
こんな難しい病気のはずがない
と仕事でバタバタしてた私は
1ヶ月近く放置してから

11月21日に脳神経内科に受診した
平成28年卒の若い医師だった
紹介状を読んで少ししてから
私の腕を水平に上げたりと
簡単なテストをいくつかして
まだはっきりとはわからないので
まずは脳に異常無いか確認しましょう
ということで脳のMRIを撮り
異常無しだったようだ

医:次回は筋電図をやってみましょう
  まぁネットみながらやっていきましょう

私は耳を疑った
過去の症例みながらでもなく
ネットみながら???
私が調べたるわぁ
という言葉を飲み込んだ私でした

翌日脳神経内科受診
筋電図検査をした
最初の内は肩こりに良い感じの電気で
徐々に悲鳴上げたくなる程の痛みに

医:まぁおそらく重症筋無力症でしょう
  次回は胸の写真を撮りましょう
  帰りに血液検査の為の採血します

血液検査って。。。
抗体あるかどうか1番最初に調べるんじゃ?
と思いながら帰宅

1週間後の11月28日受診
胸の写真の結果
胸腺腫は無かったようだ
これで摘出手術の可能性は無いので
内心ほっとした

医:特殊な抗体の検査だから
  血液検査の結果は来週にならないと
  わからないんだよね

12月5日脳神経内科受診

医:う~ん
  重症筋無力症にある抗体が無いんだよね
  もしかしたら違うかも
  一応もう1つの抗体の方も調べるから
  採血して帰ってね

1回で調べれない抗体なのか?
と思いつつ採血へ
採血のブースがあるんだけど
ここの看護師
めちゃめちゃへたくそ
1回で血管あててくれない
必ず両腕内出血の跡。。。

12月19日脳神経内科受診
血液検査の結果
もう1つの抗体も無かったようだ

医:違うかもしれないなぁ
  眼科の管轄じゃないかなぁ
  もう1つ検査するので
  来月16日に来てください

来月まで時間空けるってことは
そんなに深刻な事ではないんだな
ちゅうことは違う可能性が高いんだな
とどこかで安心してた私

年が明けて
1月16日脳神経内科受診
物の見え方の問診され

医:やはり重症筋無力症かなと
  来週入院してください
私:来月の10日以降じゃないと
  入院できません
医:仕事の関係もあるでしょうから
  来月の12日入院にしましょう

2月9日に新年会がある
新年会でしか会えない人達もいる
新年会だけは出たい
それしかなかった私の自己都合で
入院を2月12日まで延期
2月入ってから
目の複視が悪化に伴い
身体のだるさも増した
自己都合で延ばしてもらった手前
病院には行けず
その日を待った

      つづく



# by yu--mei | 2020-02-17 17:53

冬の災害に向けての備え

テレビでこれから寒くなる
冬の災害に向けての備えやってました

★カセットコンロ
 ガスボンベ10本(4人家族1週間分)
★寝袋
★カイロ
★手袋
★スキーウエア
★靴下
★手回しラジオ(USBの挿し口付き)
★簡易トイレ(水道管凍結で使えなくなる)
★冷凍庫を充実しておく
★根菜類を備蓄
★ランタン・懐中電灯(各電池)
ペットボトルはお湯を入れると
湯たんぽの代わりになる
車のガソリンは半分無くなったら給油する

頭ではわかったつもりでいても
こうしてテレビで再確認すると
カイロの存在を忘れる等
まだまだ備えきれてないことが判明

スーパーは市場が動き出したので
肉や魚等並ぶようになりましたが
コンビニはまだまだがら空きでした
こんなにキレイに棚が
空いてる時はないので今の内にと
棚の大掃除をしていました
札幌の風俗店では8つあるお風呂を
500円で解放し
観光客や公衆浴場に行けない人達が
利用したようです。
燃料代として500円は
頂くことになりましたが
多くの人に喜んでもらえてよかったです
と店長さんが言っていたそうです。
焼肉屋さんではどうせダメに
なってしまうであろう
冷蔵庫や冷凍庫にあるお肉を
無料で焼いて提供したようです
みんながお互いに今できることを
考え行動することは本当に素敵なことです。
嗚呼人間っていいなぁって思います。

職場の入居者さん達も
まだ兄弟と連絡取れてない等で心配で眠れず
体調崩し始めてきてる人達が出てきました
おそらく避難所に避難してて
家の固定電話に出ないだけだと思われるが
ちゃんと連絡が取れて安否を確認するまでは
不安がどんどん強くなり心配で
眠れなくなり体調崩してしまうのです
できるだけ話しをきけるように
心がけています
私の妹はねぇと子供の頃の話を
始めるおばあちゃんや
俺の兄貴は会社の社長でと
自慢気に話をするおじいちゃん
最後は笑って部屋に戻ってってくれてるから
今はまだ大丈夫かなと思ってま
とはいえ心労は計り知れないものなので
楽観的には見れません。
今まだ避難所に避難してる方々の為に
何ができるか
いっぱいいっぱい考えました
今目の前にいる入居者達の
不安を少しでも軽くしてあげることが
避難してる人達の心の負担を少なくする
手助けになるんじゃないかと思ってます。


# by yu--mei | 2018-09-13 11:56

北海道胆振東部地震

9月6日木曜日午前3時7分59秒
スマホの地震アラームが鳴った
宿直中でベッドに横になっていた私は
まずは震度を確認と思い
テレビをつけようとリモコンに手を取る
普段から5回くらい押さないと
電源が入らないリモコン
この時は何回押しても入らない
ただ接触悪いんだと思ってた私
仕方ないなぁと事務所の電気をつけようと
スイッチに手をかけたけど点灯しない
え?停電?
事務所のドアを開けると廊下は電気ついてる
ん?黄色いってことは非常灯?
やっぱ停電なんだと確信した
今月に入ってから変えた
新しいセキュリティシステムの
何かが作動して電気がダウンしたんだな
これは社長しかわからない
と思い社長に電話した

私:お疲れ様です。
社:停電になったでしょ
私:はい(やはりシステムなんだ)
社:今向かいます
私:お願いします

社長じゃないと解除できないから
社長が来るんだと思い込んでた私
社長が来るまでに
2階3階4階と見回ってきた
各階とも2、3人の入居者が廊下にいた

「びっくりしたねぇ
ケガとかないですよね?
停電ですのでお部屋に戻って
動き回らずに静かにしててください
ベランダのカーテンを開けておくと
日が昇って明るくなってきます」

と言って部屋に戻した
揺れが中途半端だった為
出てきてない入居者の
安否を確認するか迷った
社長が来たらきいてみよう
社長が到着した

私:お疲れ様です
社:いやぁ信号も消えてて怖かったわ
私:え?外も停電なの?

ここで初めて建物だけじゃなく
市内全部が停電だと知ったのです
社長に確認したところ
出てこない入居者はそのままでいいとのこと
ラジオで北見と札幌も停電と言っている
所々で停電なんだなぁと思ってると
社長が「空観てごらん天の川が見えるよ」
言われるまま空を観にいくと
山の中かと思うくらい満天の星空
そう。。。この時
私と社長はまだ事の重大さに
全く気づいてなかったのです

1人暮らししてるボクちんにLINEを
私:信号消えてるから運転気をつけてね
ボ:休みになったから大丈夫
私:ちょろちょろしないで
  大人しくしてなさいよ

20分くらいすると
お局様が駆け付けて
朝食のご飯が炊けないよねと言ってきた
( ̄□ ̄;)!!
さすが厨房の責任者
私の頭にはこれっぽっちも
浮かびませんでした
それも「鍋で炊けばいい」
という私の言葉ですぐに解決
私以外誰も鍋でご飯を
炊いたことがない事にビックリ
土鍋でご飯を炊き
ガス・水は使えるので
懐中電灯を片手に調理を始めた
エレベーターが使えないので
足の悪い入居者には
部屋まで運ぼうってことに
ふと見回ってると
4階のおばあちゃんが
3階の階段の踊り場に座り込んでいる
どうやら食事だからと
降りてこようとしてたらしい
地震の時は出てこなかったのに
人間の生きようとするパワーは
すごいなと思った
4階まで担ぎあげて部屋に戻した
食事を運ぶまでの時間で
折り返し階段を4階まで8回
他に3階や2階まで合わせると
数えれないくらいの階段上り下り
帰る頃には足がぷるぷると
ヘルニアの痛みが出てきて
ゴリラみたいな歩き方に。。。
この日は宿直4連勤明けで荷物が多く
朝母に迎えに来てもらう予定だった
母から

「信号が消えてるから歩いて帰ってきてね」

( ̄□ ̄;)!!
まぁ事故にあっても困るし歩くか。。。
もう足がプルプルで
途中何度座り込もうと思ったか
普段の運動不足がたたってる
実家に寄ると母の姿がない
父は仕事に行ったようだけど
母はどこへ?電話してみた

私:どこにおるん?
母:叔母さんち
私:え~~~
母:だってお父さんは仕事行くし
  お母さん1人で不安だったんだもん
まぁ母の気持ちもわかるなと思った
しばらくして母から電話が
母:ATMってやってないよね?
私:停電だからねぇ
母:叔母さんが財布に
  3万しかないって言うのよ
私:大丈夫!3万も使えないから!
母:そうなの?
私:そこまで買えるだけの物ないよ
母:それもそうね
ここだけゆ~っくり時間が経ってる気がした

友達からコンビニは
もうすでに空っぽと情報が入っていたので
母と叔母と3人でスーパーへ
レジすごい並ぶんだろうなぁって
覚悟して行って到着すると
入口から駐車場1周する位の行列
レジ以前の問題だった
レジが動かない為入口のところで
カップ麺・パン・飲み物のみの販売だった

「今食べる物だけを販売してます
 ご理解をお願いします」

と店長さんが何回も叫んでいた
電池を買いに来た人に平謝りだった
並んでる時に前に並んでた若いお母さん
最近東京から旦那さんの実家に
引っ越してきたらしい

「東京ではよく停電になるから
停電になったら溶ける前に氷を
ステンボトルや魔法瓶に入れちゃうんです」

という話をきき
なるほど!と思って帰ってから早速やってみた
夜まで氷の形が残っていた!
若者の話もきいてみるもんだと思った

私:冷凍庫の中身溶けちゃうね。。。
母:そうだねぇ
私:ジンギスカンとか炭おこして
  焼いちゃうか
若:旦那もそう言ってました
  この非常時に何言ってるの?って思って
私:北海道たくましいでしょ?
若:ほんとびっくりです

こんな会話をしながら順番を待ち
買い物を済ませ帰宅
車でスマホの充電がてら
テレビをみて初めて全道停電を知った
( ̄□ ̄;)!!
これって凄く凄い事になってるんじゃ?
やっと把握した私
札幌でマンション12階まで
階段で昇っていく青年の話が
もう4回目なんですって言っていた
4階で文句言ってごめんなさい

アウトドアな私と親
ランタン等明かりの用具は
不自由しない位にあった
とはいえ
いつまで続くかわからない停電
電池が切れたらそれまでだから
無駄に点けてはいられない
夕方には電話回線も
止まると情報があったので
仕事に行ってる父に

「帰る頃は電話使えないだろうけど
運転気をつけて帰ってきてね」

とLINEしておいた
実家で鍋でご飯を炊き冷凍庫の中身を調理
薄明りの中で食事し家に帰った

何度もボクちんにLINEしてるけど
既読にすらならない
まぁいつものことだから。。。
夕方からは電話回線止まったし。。。
夜11時過ぎに電話回線開通した
東北の地震の時よりは短い時間だったけど
電気もなく通信もダメという状況は
自分で思ってるよりも怖かった
夜11時半になってやっと大丈夫と返信
昼間は友達とキャッチボールをして
夜は真っ暗だから寝てたと。。。
たくましいのか図太いのか。。。
誰に似たのやら。。。
オール電化のマンションに住むボクちん
当然料理も何もできない
翌日翌々日の夜は家に寄るように言って
ご飯を食べさせた
冷凍庫の中身を消費するため
心なしか普段より豪華な食事になった

近所のスーパーの周辺が
7日の夕方には通電していた
道路挟んで向こう側も
7日の夜には通電していた
じゃあ明日の昼には通電するだろう
そう信じて
普段から真っ暗の中で眠れない私は
真っ暗闇の中で眠ったのでした
翌日の8日
期待して何回ブレーカーを上げたことか
その度に。。。し~~~ん
夕方には友達のとこも
お局様のとこも通電したと知らせが
( ̄□ ̄;)!!
もしかして
1週間以上かかるかもしれない方に
ノミネートされてしまった?
めちゃめちゃヒヤヒヤしながら
鍋でご飯を炊き夕食の支度をした
ご飯を食べ終わった18時半過ぎに
やっと通電した!
これで冷蔵庫で飲み物冷やせる!
とにかく冷たい飲み物が飲みたかった
急いで買い物に出ると
スーパーどころかコンビニも開いてなかった
仕方なく自販機で買って帰った
電気や炊飯器の有難みを
ほんと身に沁みました
鍋でご飯を炊けても
冷めてしまったら
堅いご飯のかたまりに。。。

今回は停電だけで済んだけど
これが断水だったりガスが使えなかったらと
考えたら本当に恐ろしいです
後から友達の話をきくと
IHの家は炭をおこして調理してたらしい
しばらくは物流の関係で
不便な思いをするかもですが
建物被害もなく停電のみだったおかげで
余震にビビリながらも
日常の生活にすぐ戻れると思います
宿直4連勤明けの疲れのせいか
8日の夜通電してホッとしたのか
熱を出して9日もがっつり寝て
10日には下がりた
きっと気を張ってたのもあって
疲れがでたのでしょうね

地震発生後3時26分を筆頭に
遠く離れた多くの知人や友人から
励ましのLINEやメールをいただきました
物資送るからちゃんと必要な時は
甘えてと言ってくれた方もいます
何もできないからと情報を調べては
LINEに貼り付けてくれた方もいます
今1/3復旧してるからあと少しだよと
励ましてくれた方もいます
中には大雨で被害にあわれた方
直前の台風で停電等の被害に
あってる方もいます
10年以上の付き合いの方もいますが
ほとんどが1度も会ったことがない
趣味で繋がってるネットの友人達です
今回本当に友人達の励ましで心強かったです
たった2日間の停電と
言うのかもしれないけど
私にとっては暗闇で不安だらけで
親を不安にさせれないから
私の不安を見せないようにと気を張って
でも気持ちはどうしようどうしようで
そんな時に友人達のLINEが届いて
嗚呼1人じゃないんだ
みんな心配してくれてるんだ
大丈夫!頑張ろう!
って気持ちになり親の前でも
気丈でいられました
たとえ1度も会ったことがなくても
何年もの付き合いでできた絆が
あると実感しました
本当に皆様に感謝です。

ありがとうございました

そして今まだ台風の被害に
今回の地震の被害にあわれて
大変な思いをされてる方々に
私が今何が出来ることなのか
友達と話し合ってるところです
私1人では微々たるものでも
数人で行動起こせば
何かの力になれるはずだと。。。

# by yu--mei | 2018-09-10 00:41

さようなら~ばあちゃん

私が8歳商学年生の時に
母が9歳年下の父と再婚し
父の家に母と住むことになりました
父の家には祖母も一緒に住んでいました
その日から始まる嫁姑バトルは壮絶なものでした
そりゃそうでしょう
かわいい23歳の息子が
こともあろうことか9歳も年上
しかも8歳の子連れ女と結婚なんて
おだやかではいられないですよね
嫁姑に加えて父の姉小姑とのバトルもあり
ほんとにすごかったです
大人になった今だから言えるのですが
母は完璧すぎたのです
余計なことで隙を見せないように
家事も料理も全てを完璧にしすぎたのです
わりかし大雑把な祖母にはそれが
嫌味に取れたのかもしれません
嫁姑バトルは父の兄が
35歳で結婚するまで続きましたが
叔父の結婚と共に叔父と同居をしたので
嫁姑のバトルはおさまりました
嫁の母には厳しかった祖母ですが
私に対しては他の孫達と同様に
分け隔てなく可愛がってくれました
父の姉である叔母も私を可愛がってくれました
姉弟のいない私は小さい従弟達がかわいくて
親戚の集まりがあると一緒に遊んでいました
そんな祖母が亡くなりました
83歳という若さで。。。
誰にも看取られることなく。。。
水曜日に風邪で入院をし
金曜日には良くなっていってたはずの
明けての月曜日に亡くなった。。。
16時半まで嫁が付き添っていて
1時間後に看護師が見回った時には
もうすでに心臓は止まっていたらしい
宿直のために出勤する直前に連絡がきた
1度職場に行き事情を説明し
ばあちゃんの顔だけ見てくるので遅刻することを告げ
病院に向かった
運転中も色々な思いがこみ上げ
涙が止まりませんでした
病院に到着し急いで病室に行くと
そこには同居してる従妹が号泣してました
私は何故か冷静になってしまい涙が引いてしまった
他の従兄弟達や叔母もかけつけてきました
私は従兄弟達に孫達で出し合って
ばあちゃんにお供え物用意しなきゃいけないことを話し
宿直に向かいました
通夜は翌々日と決まったので翌日の宿直もしました
宿直に行く前に葬儀場に行き
従兄弟達とお供え物の相談をしました
金額的なこともあり個々に色々悩みました
最後だからばあちゃんを華やかに送ってあげよう
と私は言ったことで
果物のかごとお菓子のタワーに決まりました
通夜が行われ。。。
その夜従兄弟達全員泊まり
10数年ぶりに再会し語り合ったのでした
あんなによく遊んでくれた大きいお姉さんが
実はそんなに歳の開きなかったことに
お互いに驚き笑いました
小学生のころの5歳差は
小学生と高校生の差くらいあるが
大人になった今5歳差はもはや差ではない感じだ
眠ることなく従兄弟達を語り合いながら
灯と線香の番をし翌日の告別式
私は号泣してしまいました
2年前に母方の祖父が亡くなった時も
その前に母方の祖母が亡くなった時も
私は泣きませんでした
なのになさぬ仲のはずの祖母なのに
私は号泣してしまいました
私が自分で思っていたよりも
祖母のことが好きだったのだと自覚した瞬間でした
祖母にとって
かわいい息子を奪った憎たらしい女の娘のはずなのに
他の孫達と変わらず可愛がってくれた
そのおかげで親戚の集まりでも
肩身の狭い思いをせずにいられた
私が何かにつまずいた時も
頑張れと言ってくれたばあちゃん
孫達でばあちゃんに一言書いて送ることになった
私は「ありがとう」の言葉しか浮かばなかった
愛してくれてありがとう
可愛がってくれてありがとう
その言葉以外浮かばなかった
告別式でも火葬場でも号泣した
いつも冷静な私のそんな姿を見て両親も驚いてた
なによりも自分が1番驚いた
これで私にはもう祖父母と呼べる人はいなくなった
でも私の心の中にはずっといる。。。

ありがとう~ばあちゃん
さようなら~ばあちゃん

やすらかに~

# by yu--mei | 2017-11-07 19:27

台風10号の爪跡。。。

地元の新聞に

台風10号の被害の詳細が発表された

テレビのニュースでは

台風の夜に橋が落ちてるのを知らないで

車を走らせて落ちて

死亡者が出た等はきいていたけど

新聞に載っていた写真は

私の想像を遥かにこえていた
台風10号の爪跡。。。_a0135546_23292979.jpg
台風10号の爪跡。。。_a0135546_23295093.jpg
台風10号の爪跡。。。_a0135546_23300554.jpg
台風10号の爪跡。。。_a0135546_23302129.jpg
台風10号の爪跡。。。_a0135546_23304002.jpg
台風10号の爪跡。。。_a0135546_23305557.jpg
初めての避難勧告で

危険度合がわからず

危機感がいまひとつだったのだけど

この写真をみて

一歩間違えたら

こういう惨事になっていたんだと

何事もなく済んだのは

本当に運が良かったことなんだと

身震いしました

JRは1ヶ月以上運休状態に

国道は写真の通りに

川の氾濫により橋が落ちて断裂

故に国道も峠も通行止め

ここから札幌方面に向かうには

唯一無事に残された高速道路のみ

高速道路は無料になったけど

不便なのは隠せない

これでもし高速道路も被害にあっていたら

流通もストップしてしまうとこだったのかも?

車で30分も走らない隣町では

川の氾濫により洪水で住宅地が被害にあい

車で1時間走らせた国道は落ち

この歳まで生きてきて

台風はこわいと初めて心から思いました

今台風12号が発生中で

まだまだ次の台風も発生するかもしれない

自分で防げる被害は出さないように

心がけたいと思います


# by yu--mei | 2016-09-05 09:51



日々のできごと

by yu--mei
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
ブログパーツ
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧